日本舞踊 はじめの一歩

勝美巴湖氏

 
この記事は2004年~2005年に発行致しました「日本の伝統マガジン」に掲載頂いたコラムです。

<第1回>

新年明けましておめでとうございます。
21世紀を迎えて早4年、2005年は新世紀も軌道にのってより良い年であることを地球の片隅からですがお祈り申し上げております。
 さて。今回初めてこのメールマガジンに寄稿いたしております私、本名安藤華子、芸名勝美巴湖と申し日本舞踊を生業としてます。
ただ今は文化庁の研修生としてロンドン大学の大学院で学ぶ「学生」の立場ですが、専門である「日本舞踊」について自身の体験も踏まえながら皆様にお話致したいと存じ、このメルマガに参加しております。
どんなに些細なことでも、疑問に思ったり確認したいことがあればどんどんお尋ねくださいね。

「日本舞踊って何?」

そんな質問を例えば、外国人のお友達からされたら貴方はどう答えると思いますか?? ちょっと難しい質問のように思えるかもしれませんね、、。 
でも、私たちにもやはりとても難しい質問なのです。
何故なら、一口に日本舞踊といっても「日本人が踊ってるから」、「着物を着て踊ってるから」、「日本の音楽で踊ってるから」、「歌舞伎の作品を踊ってるから」、、、 などなど答えはいくらでもあります。
そしてその答えのどれもが正解であり、また間違いでもあります。
それほどに「日本舞踊」というのは、私たち専門家にとっても「一言では説明しきれない」ほどの多様な要素を持ち合わせていている芸能なのです。  
そのとても多様な部分の一つ一つを、このコーナーでご紹介したいと思ってますので、是非参考になさってくださいね。

<第2回>

日本舞踊ってなんだんだろう、、
シンプルに見えて実はとても難しいテーマなのですがこれについてもう続けてみますと、、。

先ずは着物を着て踊るのが第一条件に見えますが、お能や狂言だって基本的には着物ですね(能、狂言では「踊る」ではなく「舞う」と表現しますが、)。
そもそもの日本舞踊のルーツは歌舞伎にあります。
「歌」「舞」「伎」のうちの、そう、「舞」の部分が日本舞踊の始まり。だからオペラからバレエが発祥したケースと似てるといえます。

その、日本舞踊江戸時代のころは、歌舞伎のなかでは「女形」という女役専門の役者が担うことが多かったようです。
一説には当時の芝居では立ち役(男役専門の役者)が芯を演ずるケースが多く、それに対して舞踊作品では女形に芯を取らせると言う傾向があったから、とのこと。
所謂古典と呼ばれる作品はこの歌舞伎のなかで育ち、練られつづけた作品なのです。
歌舞伎に行くと必ず といってよいほど中幕に舞踊作品がありますが、まさに日本舞踊の真髄がそこに凝縮されているといって過言ではありません。
こういった部類を日本舞踊のなかで「古典舞踊」もしくは「歌舞伎舞踊」などと称しています。

時代が下がって、明治の文明開化を経ると日本舞踊も様々に変遷します。
歌舞伎とは別に「日本舞踊」のみを生業とする「日本舞踊家」の存在もうまれ、古典舞踊からさらに発展して新作や創作の気運があがるなかそれまでの歌舞伎舞踊にはなかったような踊りが誕生してきました。そこからジャンル訳が難しくなるほど日本舞踊は多様化したのです。

先ずは「歌舞伎が親元らしい、、」その程度に理解して頂ければ十分かと思います。

<第3回>

さて、前回は日本舞踊がどう歌舞伎とかかわりがあったかについて触れました。
今回はもう少しばかりその続き。

歌舞伎の「舞踊パート」として日本舞踊が発祥したことはすでに申しましたが、その後その「舞踊」のみを生業とする人たちが出てきました。
江戸時代には所謂「お師匠さん」として、踊りやお三味線を教えることを職業とする人は勿論いましたが、明治期に入ると「舞台で舞踊作品を演じること」を第一義にとらえた「日本舞踊家」の存在も誕生します。
尤もそれが経済的な意味で「職業」として成り立っていたか否かは判断が難しく、それは現在の「舞踊家」にも当てはまる問題です。

ただ、こうして日本の踊りは「観賞するもの」に加えて「踊って楽しむもの」「創って楽しむもの」へと徐々に変化していきました。
そこで登場するのが「流派」です。
よく「○○流」なんて表現がありますね。
英語に訳すと「School」なのだそうです。
「学校」という意味でなく、とある優れた踊り手、或いは指導者のもとにそこへ憧れを持つ支持者が集まって出来た集団、、とでもいえましょうか。
例えば絵画の世界で「印象派」といわれる一派は、英語では「Impressionist School」と表現されています。
傑出した印象画家のもとに集まった崇拝者や才能が「印象派(日本舞踊的に言えば「印象流」)と呼ばれるわけで、日本舞踊の「流派」の発端もこれと同じようなものといえましょう。

一番古くは江戸時代からある「志賀山流」に始まり、様々な優れた日本舞踊家のもとに様々な流派が生まれました。
どの流派が好きか、或いは優れていると思うかはあくまでも御覧になる貴女自身が判断すればよいことで、決して一般的な判定基準はありません。
そして、流派の増加は同時に日本舞踊の多様化(または混迷化)にもつながり、それこそ歌舞伎舞踊にあくまでも忠実でありたい流派もあれば、どこまでも現代の歌謡曲にあわせて踊ることをモットーにする場合もあ り、その両方を兼ね合わせようとするもあり実に様々です。
現在5大流派と呼ばれる花柳、藤間、西川、坂東、若柳の各流派に加え、(社)日本舞踊協会に所属する流儀は116流儀、

舞踊協会未加入分については正確な数は把握されていません。

ただ、概ね共通して言えるのは、社団法人日本舞踊協会に所属している流儀はその内容について「確実に日本舞踊だ」ということでしょうか。
先ほど言いました「混迷化」と関連しますが、ともすると日本舞踊といえるのかどうか判断の難しい流派が乱立してきているのも事実で、その混迷ぶりが日本舞踊の社会的評価に悪影響を及ぼしていることも否定できません。
そんな中「日本舞踊の充実と発展を目的として設立された(社)日本舞踊協会にはその趣旨を尊重して加入した流派が属しているので、一つの参考にされるのも良いかもしれません。」

とはいえ、芸は生き物そして本人一代のもの、良し悪しはあなた自身の感性で判断することが一番大事です。
一応、「流派」について簡単な説明はしましたが、もしどなたかの踊りを「ステキ」と思ったら何流であるとかにとらわれずにその踊りを楽しんで頂きたいものです。

<第4回>

文字通り「三寒四温」の時期、如何お過ごしでしょうか? 前回は「流派」の成り立ちと外観についてお話ましたが、今回はその内側・構造について触れたいとおもいます。

通常、流派の長として「宗家」「家元」が存在し、そのもとに門下生が集まっています。大別すると「師範」「名取」「一般門下生」ですが、「理事」「行司」等の幹部師範や「準師範「準名取」のような中間的立場を設置するケースもあります。
もし会社組織にたとえるなら「宗家」「家元」が「会長」「社長」、「理事」「行司」が取締役、師範が役付、一般門下生は通常社員……、と言うことになりましょうか。

一般的には、お稽古をはじめてある時期を経て名取りになれるわけですが、どれくらいの時期がかかるかは流派の方針により千差万別です。
「名取」には、その流派の姓名を名乗ることによって流派の正式メンバーとなると言った意味合いがあります。
おおげさな言い方になりますが、日本舞踊をするうえでのアイデンティティーを得ることのなるのです。 名取りとなって実力を付け、人に教える段階が「師範」です。
師範になるとお月謝を頂いて門下生を指導することが可能ですが、その分責任も重くなります。
師範に質が流儀の質へ与える影響は多大だからです。

その師範達をとりまとめていくうえで、宗家や家元の片腕となるのが所謂「理事」「行司」。こうした人々の上にたつ宗家や家元は言うまでもなく多大な責任がのしかかっています。
一つには日本舞踊の魅力を充分に体現する芸を生涯をかけて磨くこと、もう一つはその芸を師範をはじめとする門下生に教え込む努力をこれまた生涯をかけて続ける事。簡単に使われがちな「宗家」「家元」という言葉ですが、その実、芸人としてのカリスマ性と指導者としての人格の両方を求められる大変厳しい立場といえます。その厳しさを全うすべく努力し続けた人々によって日本舞踊は伝承されてきたのです。といってもこれはあくまで「教える側」のお話。
「習う側」は自分の好きな流派の好きな先生を選べば良いだけのことです。そんなわけでご安心ください。

<第5回>

新緑がとても眩しく感じられる季節となりました。
私達もお稽古の汗がとても爽やか且つ快く感じられる今日この頃です。  

さて、前回までは日本舞踊を取り巻く事柄について用語を交えながら簡単にお話いたしました。
今回からはもう少し込み入った(??)お話です。先ずは音楽から、、。
 皆さんは、日本舞踊というとどんな音楽で踊るものかご想像つくでしょうか?
以前、「着物を着て踊るから日本舞踊だ」という考え方もあるとご紹介しましたね。
確かにそれも間違いではありませんが、基本的に歌舞伎舞踊を主とする古典の場合は「邦楽」つまり、三味線や鳴り物(鼓などの打楽器)から成る音楽を背景としています。
演歌やポップスも勿論BGMにはなりますが、それについては又改めてお話いたします。

 

古典の日本舞踊の伴奏音楽を大別すると、義太夫、常磐津、清元、長唄、筝曲、大和楽、小唄、端唄、俗曲、等等になります。
これらの違いは使っている三味線の種類や発声、奏法によりますが少しよく聞いてみるとその違いははっきりと分かります。
例えば皆さんがJ-pop, ポップス、ジャズ、ロック、ヘビメタなどを瞬時に識別出来るのと同じことです。

歴史的には文楽(人形による芝居)から来た義太夫が先輩格ですが、それぞれの分野で更に三味線音楽は洗練され総じて400曲程がレパートリーとして今尚健在です。
勿論星の数ほどに創られた中から時代や嗜好の変化の篩いにかけられ続けながら残ってきた傑作がこうして古典として今尚生き続けているのです。
よく「伝統」と言う言葉が使われますが、これは残そうとして躍起になったものでなく残るべくして残ってきたもの、、つまり時代を超えて求められる内容をその作品が持っていた、、という結果なのでは無いでしょうか。
その魅力を更に引き出すのが我々舞踊家の役目なわけですが、踏み分ければ踏み分けるほどにその魅力にとりつかれてしまうのが古典です。
とは言え、いつか「古典化」されるような素晴らしい作品が今の時代から生まれるよう努力するのも もう一つの役目です。

特徴としては、太棹の迫力ある三味線の音から大時代でドラマテイックな効果を醸し出すのが義太夫、時としては隠微な内容や文学のパロデイーを含むなど知れば知るほどわくわくする内容をおっとりこってりとした曲調で表現するのが常盤津、市井の風俗や人間の情感を洒脱さを交えて表現することに強い清元、時代的には若い方ながら鳴り物との合奏で洗練され且つ派手な奏法でメガ ヒットを産んできた長唄、、などが挙げられます。筝曲は所謂お琴(尺八、三味線が揃うと三曲と呼びます)、西洋のベルカント奏法にヒントを得て明治以降に発生した大和楽、例えていうならシャンソンのような性格を持つ小唄、端唄、俗曲、、等等三味線音楽は実に多岐に渡ります。
どれもが五線譜では整理しにくい微妙な「間合い」をもっていて、そこに踊り手の独特の間合いが合致 して瞬間的な美を体現するのが三味線音楽に合わせて踊る場合の究極の日本舞踊の醍醐味なのかもしれません。

少々固い話になってしまいましたが、是非一度三味線音楽を聴いてみて下さい。カウントしきれない音の余韻に身を任せて、お扇子の一つも取り上げたくなるのでは、、!?

<第6回>

さてさて、前回は日本舞踊のBGMとなる古典邦楽の種別について、ざっとですがお話致しました。
これについては、改めて細かく触れたいのですが今回は「道具」のお話。 皆さん、「扇子」ってご存知でしょうか。
英語でいう所の「fun」、ま、「汗をかいたときにパタパタする道具」ということで良いかと思います。

ただ、この扇子、それこそ日本舞踊では大変な役目を担っているのです。
この扇子一本でどれだけ多様な表現を可能にしているかを知れば、きっと「日本文化への誇り」を如実に感じとることが出来ると思います。

扇子の構造は台紙と10本の木枠(通常『骨(ほね)』と呼んでます。)から成り、「要(かなめ)」と呼ばれる部分でその木枠が固定され、その木枠が要(かなめ)から末広型に広がって「扇」の形を成します。
「肝心かなめ」という表現はこの「要」からきているのです。
要するに扇子にとって「一番大事な押さえどころ」または「要所」ということです。
台紙はこの骨(ほね)に沿って型取られ、開くと様々な模様が楽しめるようになっており、ここにも季節感や演目に因んだ事象が織り込まれていてそれを識別するのも楽しみの一つと言えましょう。

開いて開けるだけでは大した印象を与えないこの扇子ですが、一旦日本舞踊の世界に入るとこれが百変化、、。
日常の生活小道具から自然界の森羅万象に至るまでを見事に表現します。
勿論、扇子自体がその力を持っているわけでなく、扇子が持つ表現力を最大限に引き出した先人たちからの賜物といえます。
日本人の知恵の深さをこういった所で実感できるのではないでしょうか、、。

どんな表現方法があるかって? 是非、劇場に足を運んでみてください(笑)。
ちょっと意地悪な〆方ですがこれこそ言葉で説明するより、御覧頂くのが一番です。 ただ、確実に言えるのは私の知る限り「扇子」という最高にシンプルな道具をここまで多様に活かしているのは日本舞踊だけだ、、ということです。

<第7回>

扇子の話 その2  

日本はそろそろ入梅の頃でしょうか。
現在私の住むロンドンには「梅雨」などという季節はなく、いきなり夏を迎えてしまいます
。暑いか寒いか両極端で日本のようなジワジワとした季節の移り変わりは余り感じられません。

 

さて、今回はお扇子の話の続きです。
我々が重用している扇子には幾つか種類があり又使う目的や人物によって呼び名も変わってきます。

 

元々、扇子は「扇(おおぎ)」と呼ばれ様々な儀式の際の持ち物(一種のアクセサリー)として使われていました。
古い所では「六骨(ろっこつ)」という6本の骨(扇子を型取る木枠)から成る扇やお雛様が持つ「桧扇(ひおうぎ)」などが平安時代に生まれました。
この時代には扇を持って舞う、ということは無く、時代が下がって平安時代を題材にした作品で踊りの小道具として使われるようになったものです。

室町時代に能楽が発祥すると仕舞扇(しまいおおぎ)や中啓(ちゅうけい)が登場します。両者とも大体16本前後の骨から成り、基本的には仕舞扇は紋付袴での上演の際に中啓は装束(衣装)を付けた場合に用いられます。
因みにお能では「扇子」ではなく、「扇」と呼ばれています。両者は日本舞踊でも能楽の作品から翻案された作品や場面などに使われますが、何故か仕舞扇は日本舞踊では「〆扇(しめおおぎ)」と呼ばれます。 そして江戸時代以降歌舞伎が発祥すると初めて、我々のいう所の扇子の登場です。
これには「尺(しゃく)」と「9寸5分(9すん5ぶ)」の二種類のサイズがあり大体前者は男性、後者は女性や子供に使われる傾向にありますが、衣装の有無や個人の体格や好みによって選択は様々です。能楽では扇を他の小道具に見立てて使うということはあまりありませんが、日本舞踊になるとこれが日常生活品から自然の森羅万象まで百変化。
前回もお話しましたがその変化振りを楽しみに是非トライしてみてください。

尚、暑い時期に涼をとるためにあおいだりお茶の席等で使う小ぶりの扇子は「持扇(もちおおぎ)」と呼ばれます。
我々日本舞踊家は神聖なる扇子で涼むなど厳禁。
かく言う私も子供の頃、稽古中にパタパタやって気絶するほど叱られた経験があります、、、。 花火大会などでオシャレにパタパタやる場合は「持扇」を使うことがお奨め。お扇子屋さんで「持扇下さい」なんて言えたらカッコイイですね。

蛇足ですが、「鳴り物」といって鼓や太鼓のような打楽器を稽古するときに拍子を取るための「はり扇(はりおおぎ)」というものがあります。
竹の芯に和紙を沢山巻いて扇子のような形にして最後に厚い皮で巻き、どんなに強く打っても壊れないように出来ています。
我が家にも曽祖父の代から使っている「はり扇」がありますが今だに頑丈、ちょっとやそっとでは折れそうにありません。
そんな事から、なかなか手ごわい女性のことを「はり扇のような女だ、、」と言うこともあったそうです。一回使ってみては??それこそはり扇でハタキ返されること間違いありません。

<第8回>

扇子と素踊り  

先号、先々号では日本舞踊での大事な小道具「扇子」について触れました。
今回はそこから延長して「素踊り」という日本舞踊独特の演出に触れたいと思います。

 

扇子がシンプルながら如何にその表現力に富んでいるかは既にお話しました。
勿論扇子とはあくまでも様々ある舞踊小道具の一部ですので、どの踊りでも扇子を使うか、、というと必ずしもそうとは限りません。
膨大な古典曲のなかで、扇子を使わない踊りも多々ありますがそんな中、扇子の効能(?)が一番発揮されるのが「素踊り」という上演形式においてだと言えましょう。

   

「素踊り」というのはその名の通り「素」で「踊る」、つまり歌舞伎舞踊で身に付ける衣装、鬘や舞台装置を最簡略化した形で上演するものです。
男性なら紋付袴のみ、女性は多少お役により異なりますが最簡略化した姿で作品に挑みます。 勿論、舞台装置もできうる限り簡素化され何処までも「素」つまり素材そのものの味が醸しだされるよう工夫されています。

 

当然、演者の使用する小道具も簡素化されるわけで、そこで扇子の出番となります。扇子以外の道具も使われますが、工夫次第であらゆる事物を表現できる扇子は、この「素踊り」においては特に欠かすことの出来ない小道具です。
何の飾りも無い衣装に扇子一本で挑む踊り手がどれだけ豊潤な表現を展開してくれるか、それこそ「素踊り」を鑑賞する上での最高の醍醐味と言えます。

 

極彩色の衣装や装置に見て取れる素晴らしい色彩感覚やデザインの奇抜さも日本舞踊の魅力ながらその対極で、シンプルの極地において最大豊かな表現を可能にする知恵と技術もまた日本舞踊の誇りとするところです。

 

その分、踊り手にとってもうま味もアラも出てしまい誤魔化しが効かない分挑戦し甲斐があるともいえます。
「○○を素踊りで踊ります」となるとそれだけで挑戦意欲を感じ取ってしまうのが我々本職の性ですが、それほどに「素踊り」とは究極の難関でもあるのです。

 

かって、「本当に上等な踊り手は畳2畳の広さに扇子一本あれば、人を惹きつけることが出来る」といわれたとのこと、、、。
まさしく素踊りの極意と解釈することができますね。
「素踊り」でこそ実力が発揮される、、これに全ての舞踊家が憧れているといっても過言ではないでしょう。

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