楽能日記(らくのうにっき)

楽能家 マサ氏

 
この記事は2004年~2005年に発行致しました「日本の伝統マガジン」に掲載頂いたコラムです。

楽能日記(らくのうにっき)<第1回>

何から書きましょう。これをお読みになる方は、私などよりはるかに能楽に詳しい方から、全く能に触れたことがない方まで、幅広くおいでのことと思います。

そのどなたにも対象を絞らず、ただ、触れたこと、思うところを書いて参りたく思います。歴史や成り立ちについては、あえて触れません。
ご説明できるほどの知識もありません。数多くある優秀な方の書く書籍やホームページ等をご覧頂けば、随分勉強になることと思います。
わたくしからは、能の持つ不思議な魅力を、かなり個人的な視点で書いてまいります。
が、もしご意見・ご質問・ご要望等がございましたら随時お答えしていこうと思います。
もろもろ、歓迎いたします。

一、能役者のこと

さて、しばらくの間は、今現在の能楽界で注目したい役者達についてぽつぽつ書いていきたいと思います。
能はライブであり、生ものであり、賞味期限の極めて短い生き物です。
大ベテランから若手まで、隔てなく紹介してまいります。

今回は第1回に相応しく、現在の能楽界で最も尊敬と憧れを集めているこの人からご紹介いたします。
藤田大五郎(笛方一曽流):この方について語るとき、「人間国宝」「御歳90歳の現役」等の肩書きすらなんら意味を持たなく思えます。
おぼつかない足取りであろうと、音色が時に乱れようと、ただ、そこに居るだけで良い、完成したたたずまいを、いつも心から「いいなあ」と思うのです。
時には座っているだけでおシテをすら凌駕する存在感。
人間という不安定な生物が、生きて存在する内にこんなにも完成した姿になることに全身で圧倒されます。
枯山水の中に、うっすらと挿し色の朱のあるような、墨絵の前にたたずんでいて、ふと花の香が漂うような、品格と凄みとが静かに同居する、この人の存在感だけは一度味わってください。

筆者:マサ。
楽能家(らくのうか)を自称する粋人。現在東京都在住。17の歳に初めて能を見て以来不思議な縁に引かれ、10数年を経てなお能から新たな刺激を受け続けている。性格は至って温厚、牛のようにのどかに暮らす。と言いたいところだが、実際は仕事に追いまくられる日々。
パソコンを呪い、数字を呪い、現代社会を呪いつつ、ひたすら悠々自適の優雅な日々を夢みている。

観世榮夫師の姨捨(おばすて)のこと(流儀により「伯母捨」とも)

能には、「格」、「位取り」というものがある。

私ごときに説明できるようなものではないが、曲の扱いについて「重い」と表すものは、単に曲柄が暗いとか、軽快でないという意味でなく、流儀、または能そのものの中で特別に扱うものであることを指している。
重い曲は流儀によって様々であるが、特に「姨捨」「桧垣」「関寺小町」を三老女といい、全ての流儀で能の最奥義とされている。

明後日、観世榮夫師の『姨捨(おばすて)』を見る。
『姨捨』は随分久しぶりだと思いよくよく考えてみると8年ぶり2度目で、つまりは自分が能を見始めたばかりの頃以来である。
確かに滅多に上演されず、役者にとっても一生に一度舞えるかどうかという曲だ。
この『姨捨』には筋らしい筋というものはなく、ただ一曲を通して、姨捨山に捨てられた老女の霊(シテ)が都人(ワキ)の前で月の光と同化するだけの能である。
夜明けとともに都人は帰り、老女は一人残される。
つき、と聞いて思いつくまま書き連ねれば、かぐやひめ、おつきみ、うさぎ、こよみ、十三夜(おさんや)さま、そして、心待ちにするひとの思いを反映した趣深い名前に、伏待月、居待月、立待月。
月はいつも人の心に寄り添ってきたと同時に、死の象徴でもある。
山に捨てられた老女にとって、月あかりはただ一つの慰めであり、味方であろう。
老人を山に捨てるとはすなわち死を意味する残酷な行為だが、これもまた中世社会の現実であった。
だからこそ舞台上で捨てられた老女の魂を救済し、許しを乞おうとしたのかもしれない。
能には、祈りにも似た側面がある。 我を捨てた人を怨む心さえ月の光のごとく消え失せ、老女自身も大気中拡がって融けて消えてしまうような、水を味わうがごとき能である。ただそこに、あるかなきかの、気配を楽しむ。

さて演じる側の観世榮夫といえば、名家の生まれながら新劇の舞台に立ち、一時は流儀を出奔するなど数々の破天荒なふるまいで知られる奇才である。
近年大病を経て、体の衰えとは逆にますます深みのある存在感を見せている。
どうしようもなく惹かれる役者の一人だ。この生死のハザマをどう演じるのだろうか。
※これを書いた二日後に見た『姨捨』のことは、いつかまた機会があれば書きたく思う。榮夫師の「姨捨」は、今も私の瞼裏に白い影となって残る。

『翁(おきな)』

お正月の初めや舞台開きなどに決まって演じられるのが、この『翁』である。

『翁』は「能にして能にあらず(能であって能でない)」と言われ、能の発生当時の姿をいまに伝える。
能のはじまりは稲作と共に大陸から渡ってきた田楽、申楽がルーツであると定説になっている。
能は、太古の神々に捧げられた祈りであった。
めでたい言葉の羅列でこれといった意味をなさない謡(「神歌(かみうた)」)には言霊信仰が息づき、にっこり笑った翁面はまことにおおらかで福福しい。
お囃子の独特の調べも、お神楽やアフリカの民族音楽にどこか通ずる力強さがある。

神のよりしろになる「翁」(シテ)と、若い露払い「千歳(せんざい)」(ツレ)を演じる能楽師は、女性の姿を見ることも許されず、女衆とは煮炊きの道具までを分ける「別火(べっか)」と呼ばれる精進潔斎を経て舞台に臨む。
「鏡の間」(能面をつけるところ。舞台につながっており、舞台に順ずる場とされている)でお神酒を頂き、切火を打って幕が開く。
舞台を浄め、天下泰平国土安穏を祈念する『翁』での失敗は不吉とされ、何かよくないことが起こるといまなお固く信じられている。
詳しいことは専門書にまかせて省くが、能が始まると鏡板(舞台背景)の松を伝って神が影向し(鏡板の松を「影向(ようごう)の松」という)、やがて再び松を伝って天へと帰っていく。
翁が舞台を去った後(「翁帰り」という)「三番叟(さんばそう)」 (狂言方)の舞になる。
鈴を鳴らして拍子を踏む型は、大地をふみしめ種をまく所作を表すと言われている。

観世座発祥の地、奈良県結崎村(ゆうざきむら)には能楽発祥の地の記念碑、面塚(めんづか)がある。この地に天より翁面降り下り能が始まったうんぬんと記された塚の周りを、そうそうたる能楽師の寄進した石柱が取り囲む。
この伝説が荒唐無稽なおとぎ話に感じられないのは、今に続く『翁』、ひいては能への厳粛な想いのおかげであろう。
たとえ迷信といわれようとも、信じて守る人達がいる限り血が通い、時代錯誤な世迷言ではありえない。
能を信じる人たちの迎える新年は、太古の響きとともにある。

注意:『翁』に遅刻すると客席に入れてもらえません。
先頭の「面箱持」(狂言方:翁面の入った箱を捧げ持つ)が現れてから翁帰りまで、扉を開けてはいけないことになっております。
お出かけの際は決して遅れぬようくれぐれもご注意ください。

着物で楽しむお能

着物を着たいからと歌舞伎を見に行く人があるように、着物を着ていく場所のひとつが能楽堂です。
また、着物とお能には共通するモチーフが多く、様々な応用を楽しむことができます。
『竹生島』の謡の一説、「月海上に浮かめば兎も波を走るとかや」からできた「竹生島」などという模様もあり、まさにそのものずばりですが、これに限らずとも何かしらその日の演目にかけた図柄を身につけることで楽しみも増し、着物を身近に感じることもできると思います。
着物や帯、羽織の裏だけでなく、襟、帯揚げ、髪飾りや根付、帯留などの小物類でもいいでしょう。
牡丹の花に獅子が舞い戯れるめでたい曲『石橋』ならば唐獅 子、牡丹、滝。
松の枝にかけた天女の羽衣をめぐる『羽衣』ならば磯模様や松。
『道成寺』ならば鱗紋や桜と松。酒の功徳で長生した少年の『菊慈童』ならば菊 などなど。

以下に、一般的な着物の柄とそれにちなめる能の曲を少しご紹介するので、能楽堂へおでかけの折にはご参考にしてください。
二つ以上書いているものは組み合わせにより意味を強めるものです。
また、観る前に是非一度詞章に目を通し(謡曲全集は図書館にもあります)、イメージを膨らませて自分なりに楽しんでください。
季節や曲柄などいろいろな要素も絡むことなので、ご確認頂いた方が無難です。
是非この冬、着物とお能のコーディネートを楽しんでお能を身近に感じて下さい。

桜・・・道成寺、忠度、雲林院、桜川、吉野天人、嵐山、花月、西行桜、熊野
梅・・・巻絹、東北、箙、胡蝶(蝶と組み合わせて)、 
菊・・・菊慈童(「枕慈童」とも)、
松・・・羽衣、老松、高砂、道成寺(花のほかには松ばかり)
竹・・・関寺小町(七夕)、
雪・・・安達原(糸巻き)、葛城
波、水・・・猩々(赤)、天鼓、頼政、賀茂(矢や雷と)、竹生島(兎)、
磯・・・船弁慶、羽衣、藤戸、屋島、清経、敦盛
鱗・・・道成寺、葵上、海人、
山・・・山姥、安達原、谷行、姨捨、蝉丸
月・・・野々宮(秋)、姨捨(秋)、山姥(秋)、融(秋)、花月(春)、小督(秋)、安達原
紅葉・・・紅葉狩、龍田
笛・・・敦盛、清経
鼓・・・天鼓、 
琴・・・千手、小督、
琵琶・・・経政、千手、玄上、蝉丸 

注:上記は全て観世流の表記です。
流儀や家により漢字が異なる場合があります。

謡蹟紀行「桜川にて」

能は他の演劇にもあるように、原作を基にして脚本として書き直したものが数多くあります。

その多くはいわゆる古典、「源氏物語」「平家物語」「伊勢物語」などによっていますが、その古典も実話や実在の人物に基づいたものが多く、能にゆかりのある土地は日本全国津々浦々に渡ります。
これを謡蹟(ようせき)といい、愛好家が立て札を立てるなど、土地の旧跡に数えられたりしています。

そのうちのひとつに、能「桜川」ゆかりの「桜川磯部稲村神社」があります。
筑波山のふもと、のどかな田園風景の中にぽつりとある、小さな古いお宮です。
名前の通り桜の名所で、隣接する広い公園や、神社の境内には様々な種類の桜が植えられ、全国でもここにしかない珍しい種類もありますが、おとなう人も少なく、近所の人たちの鎮守としてひっそりとたたずんでいます。

能「桜川」は子どもに生き別れて狂乱した母親が、わが子を尋ねて遠い日向の国からこの地にやってきて寺の稚児となったわが子に再開するという単純な筋書きのお能です。桜づくしを読み込んだ謡が美しく、川面に浮かんだ桜の花びらを網で掬う型など、華やかな曲です。
中世は人買いが横行した時代でもありまし た。
子どもをさらわれるお能は他にもありますが、その中でも特に風情にあふれ、哀しみのうちにも、むせ返るような、濃厚な春の気配が漂います。

神社には謡にも読み込まれた貫之の歌、「常よりも春べになれば桜川 波の花こそ間なく寄すらめ」を刻んだ歌碑が立ち、社殿の左にはなまずの尻尾を押さえた「要石(かなめいし)」が据えられています。
同じ茨城県の鹿島神宮にある要石がなまずの頭を、桜川神社の要石が尾を抑えているそうです。
見た目はあまり大きくない石ですが、根は地底まで深く、これを三日三晩掘ったところ大嵐が来たのでやめたという伝説が残っています。
右手の林の中に細くついた山道を抜けると、急に開けて桜の木が立ち並ぶのは宮司の磯部さんのお宅に続く野原で、スミレやタンポポがのどかに咲き、桜の香がほのかに漂います。
全国でも珍しい、香のある桜が植えられているのです。
美人女神コノハナサクヤヒメを祀っているのもふさわしい、なんともかわいらしい趣があります。

裾野まで鮮やかな紫の筑波山と、その麓に広がる関東平野ののどかな春。
平凡ながら懐かしい風景です。お能にゆかりがあると思うと、風景も意味深く見えるのは、気のせいでしょうか。

JR水戸線「羽黒駅」下車 徒歩15分ほど(東京から2時間ほど)
桜川磯部稲村神社 茨城県岩瀬郡岩瀬町磯部772

業平のこと「かきつばた」

能は芝居である以上、舞台で起こることを個々の感性で見るべきだと思っている。
一口に感性といっても、知識や体験の蓄積がからみ、またその日の状態 もあるかと思う。
かなり個人的な内容で申し訳ないが、「杜若(かきつばた)」という能を通して味わったある想いについて書かせていただく。

「杜若」というお能は、他の業平物と同様、いかにも能的な要素と雰囲気だけで構成されるある意味難解であり、ある意味ではただひたすらに美しいだけの曲 である。古典『伊勢物語(いせものがたり)』に語られる在原業平(ありわらのなりひら)という人は、阿保親王の皇子でありながら官位とは無縁で、様々な女性と恋の浮名を流した、光源氏のモデルにもなった人物である。
伊勢物語に典拠する能は他にも「雲林院(うんりんいん)」、「小塩(おしお)」、そして能を 代表する名曲「井筒(いづつ)」があるが、これらは全て業平の恋物語に拠る。
その一つの恋故に、彼は東の方に流される。人目を忍びつつ都を追われてゆく姿はしかし、琳派の数多くの絵画に美しく残されている。
まさに官位を捨て、美と 恋に生きた風流びとであった。
東へと落ちていくその途上、三河の国、八橋というところを通りかかった業平は、
同行の人々にせがまれて「かきつばた」という 五文字を頭に詠みこんだ歌を作る。それが、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」の一句である。

能「杜若」は、この歌に詠まれた杜若の花の精がシテとなって登場し、旅のワキ僧に、業平が歌舞の菩薩の化身であることを語る。
業平のうたに詠まれたゆえに花にも悟りの心がひらけ、静かに喜びを舞いつつ成仏して消えてゆく。
花が仏へと昇華する瞬間に、現世ではうつつなき身であった業平の姿が重なる、秀逸だが意味を成さないような、ただ水辺にぽろりと花が咲きこぼれるだけの、そんなすがすがとした美しさがある。
殊に「恋之舞(こいのまい)」の小書(こがき)(特殊演出)が付くと、笛の音とともに水辺の花を愛でるシンプルだが写 実的な型が入り、引き込まれて、ともに花を眺めている錯覚に陥らせる。

その日の舞台のおシテは観世流の若手で、まだ独立から2年目ほどであったように思う。
ことさら上手であったのかどうか。
実際に色香のある芸の持ち主ではあり、その日の舞台は静かに充実していた。

業平の旅はしかし、雅な暮らしをしてきた貴公子にとって寂しいものであったはずであり、「身を用なきものに思いなして」の東落ちは不本意であったろう。
先の見えない思いに、「うらやましくも帰る波かな」と詠み、くゆる煙におぼつかない身の上をかこつ。
当時、勤めていた会社を辞めてアテもなく生きる道を手探りしていた自分の目には、自らを「無益なもの」に思う業平のおぼつかなさ、美への愛惜が何か遥々と哀しく映り、気がつくと涙がこぼれていた。
ただ、それだけのことである。

六百年前の人が千年前の人を思って描いたこの能に、思いがけず自分自身の内側を見てしまったような錯覚を起こさせたのは、時を越えて伝わる人間の生の感情をただひたすらに澄まして結晶させた能の美意識に他ならないとおもう。
能は、伝統の結晶だから価値があるのでもなく、生きた古典だから高尚なのでもない。
いまもなお現代を生きる人々に感動を与え続ける、血の通った芸能であることが、その魅力に憑かれて能に命を吹き込もうとするひとびとが大勢居ることが、凄いのである。

それだけではかたわで意味を成さない動作の羅列、暗喩だらけの言葉の綾から、受けとる側が自分の中に照射し構築する。
不足、未完、余白、なんと言えばいいのだろう。
わたしの言葉ばかりが上滑りする。
能の魅力を語るのに言葉は余計なものであると、自らの非力を思い知らされるばかりである。

*この能をモチーフに描かれた琳派の名品に、尾形光琳筆の「燕子花図」屏風がある。
修復中でしばらくご無沙汰していたのだが、やっと今年公開される。
残念ながら花の時期には間に合わず秋の公開だが、是非一度この作品も味わっていただきたく思う。

根津美術館所蔵 国宝「燕子花図」尾形光琳筆
展示予定:10月8日(土)~11月6日(日) 
於:根津美術館(http://www.nezu-muse.or.jp/)

楽能日記(らくのうにっき)<第7回>

今時、ご縁という言い方をするのだろうか。
結婚のことをいまだ「良縁」などと言うが、「それこそ良いか悪いか分からないものを」・・・と笑っていた。
しかし、たまにそれこそ人生は全て想定内で起こるのではないか、前世からプログラミングされていたのではないか、と驚きつつも素直に受入れてしまう偶然の出会いというものがある。
けれどそれこそが「ご縁」であり、「良縁」なのかもしれない。

私がお能に出会ったのは「ご縁」としか、言いようがない。
17歳になったばかりで、たまたま田舎の小さな町にやってきた薪能を見た。
町で一番大きいと いっても500人も入ればいっぱいのホールを埋め尽くした他の多くの人たち同様、私もまったくの興味本位でしかなく、わずかに狂言を面白いと思ったのみで あった。
初めて見た観たお能は観世榮夫の「半蔀(はじとみ)」。
源氏物語に典拠する、非常に静かで美しいのだが、いわゆるお能慣れしない人には「退屈この上ない」 一曲である。
我ながらよくあれで嫌いにならなかったものだといまだに思う。
何も知らない十代の感性というものは時に持ち主さえ気づかないものを捕らえている。

あれから10数年がたち、あの時の大勢の中の一人に過ぎなかった私が能を舞い、あの日あの舞台に立っていた人とお能話に花を咲かせるようになっている。

その間に別に熱心に能楽堂に通い詰めたわけでもなく、特に印象に残る舞台もあいまま、ある空白を感じた日に「お能でも習ってみようか」という気まぐれをお こし、そうして気づいたときには学生の乏しいお小遣いと有り余る時間の限りをお能に注ぎこんでいた。
それくらい深い魅力を持っているとまるで思いもせずに、ある日突然「そういえば」とお能を思い出した、それだけである。

あの軽い思いつき、気まぐれが時間を経て、自分に多くをもたらしてくれている。
振り返ってみれば、何も分からず能を観たあのときに始まっていたのだと思い、いや、思いつきの気まぐれを実行に移したときに始まったのだと思い直す。

そうして、これが「ご縁」なのだなと思う。
17年でも、10年でも、生きていれば何かしら目の前を通り過ぎる。
いろんなものに出会う。
目の前を過ぎていったものを、ある日ふと思い出したときにもう一度出会いなおすのではないだろうか。
能を選んだのは偶然と今も思う。
けれど、初めてお能を観た17歳から5年経ち、21歳になった私がふと「お能でも」と思ったのは、ひとえに出会っておいたからに他ならない。

何が好きで何が嫌いか、何が難しくて何がわかりやすいのか、本当は何も決まっていない。
いつか良さが分かることも、改めて選び取ることもあるかもしれない。
敷居が高いとイメージが先行し、食わず嫌いの多い能だが、是非一度接してみて欲しい。

夏至に思う

夏に至ると書いて「夏至(げし)」。ものの本には「太陽が天球上で最も北に位置し、北半球ではこの日に太陽の南中高度が最も高くなる云々」とあり、要は、一年で最も夜が短い日となる。

この短い夜に灯を消して、ろうそくの炎をたよりに短い夜を楽しみ、地球環境について考えましょうと始まった「100万人のキャンドルナイト」という同時多発イベントがある。
昨今の地球が既に異常気象の枠を超えていることは、データを並べるまでもなく体感的にも明白である。
地球ごと温室に入ってしまった 21世紀を生きる我々は、進んで求めなければ、本来の自然を垣間見ることすらできない。
切り売りされたレジャーでない、ほんとうの姿。
文明も文化も信仰も祈りも、みんなそこから生まれてきた。

「山姥」というお能がある。
ところは越後の国(新潟県)上路。
山姥の山巡りの曲舞を芸にしている遊女・百万山姥(ツレ)の前に見知らぬ女(シテ)が芸を見せて欲しいと現れる。
すると突然日が暮れ、一行は女の家で一夜の宿を借りる。
この女こそ本物の山姥であった。
晴れぬ妄執に苦しみつつひたすら山を巡り、やがていつしか輪廻に至る。
「妄執の雲の塵積もって山姥となれる」、の詞章どおり、何もかも全てを呑み込んでやがて連なる山々と一体となるかに見える、シンプルながら誠にスケールの大きな能だ。
壮大な自然を悠々と、かつ美しく描いている。

四季のうつろいを読み込んだ謡はそのままいつしか仏教の摂理になり、森羅万象の理に通じる。
言葉で語ろうとすると薄ら寒くなる万物の真理が、いともさらりと淀むところない謡の詞章にちりばめられ、どこを取っても血の通った言葉と型で表される。
最小限の表現が却って強く大きく広がり、三間四方の空間に雄大な山々が高々と連なって見える。
「山姥」は、能ならではの表現である。

殊に「雪月花之舞」の小書(こがき、特別演出)が付くと、月を眺めた静止の跡に激しく山おろしが吹くように急調子に変わる。
いつだったか、梅若六郎師の演じた「山姥 雪月花之舞」を見ているうちに、高く聳えたつ山の上から奥遥か遠い谷底を覗き込みつつ飛翔するようなめまいに陥り、気がつくと呼吸さえ忘れるほどに引き込まれていた。
あの恐ろしさは、今も体のどこかに残っている。
見ているうちに丸裸で大自然の中に投げ出されたような恐怖感と、その後に展開する雄大な世界。
限られた空間・コトバ・型だからこそ、見る人それぞれの脳内に、広大な世界が照射される。
能に限らず日本文化に潜む、「間」のもつ不思議な力かもしれない。

今年の夏至には灯を消して、誕生以前にDNAに記憶された自然への畏敬の念と信頼を、少しなりとも思い出して欲しい。
そもそも山姥は生所も知らず宿もなし。
ただ雲水を頼りにて到らぬ山の奥もなし。
しかれば人間にあらずとて、隔つる雲の身を変え、仮に自性を変化して。
一念 化生の山姥となって、目前に来たれども、邪正一如と見るときは。
色即是空そのままに。仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり。
柳はみどり、花はくれないのいろいろ。
春は梢に咲くかと待ちし、花を尋ねて山めぐり。
秋はさやけき影を訪ねて月見る方にと山めぐり。
冬は冴えゆく時雨の雲の。雪を誘いて山めぐり。
巡りめぐりて輪廻を離れぬ妄執の雲の、塵積もって山姥となれる。

執筆者紹介:
実は、環境エネルギーの研究員をしています。お能は一素人愛好家に過ぎない身でこうしてモノを書いたりして、図々しい限りです。文化(Culture)という言語は、農業を表す(Agriculture)から生まれました。あるがままの自然に人間の手を加えること、いわば自然を征服しようとした所から人間の営みは始まっています。自然への敬意こそが文化の原点であることを忘れがちな現代の我々ですが、夏至の夜くらいはそういったものを思い出してみて頂きたいと思います。

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